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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)5259号 判決 1983年9月29日

原告 戸田舜子

原告 戸田勝秀

右法定代理人親権者母 戸田舜子

右原告ら訴訟代理人弁護士 森田昌昭

右訴訟復代理人弁護士 神部範生

被告 国

右代表者法務大臣 秦野章

右指定代理人 梅村裕司

<ほか九名>

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告戸田舜子に対し、金一一二〇万八七一六円、原告戸田勝秀に対し、金三一七六万〇七一二円及びこれらに対する昭和四四年八月六日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨の判決及び担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  亡戸田泰義(以下「戸田」という。)は、昭和四四年八月六日当時、航空自衛隊第七航空団飛行群第二〇六飛行隊所属の自衛隊員であり、一等空尉であった。原告戸田舜子(以下「原告舜子」という。)は戸田の妻であり、原告戸田勝秀(以下「原告勝秀」という。)は戸田の子である。

2  戸田は、昭和四四年八月六日午前一〇時三〇分頃、射撃訓練を終えて航空自衛隊百里基地に帰投中、搭乗していたF一〇四Jジェット戦闘機(以下「事故機」という。)が同基地東北東約一五カイリの海上に墜落し(以下「本件事故」という。)、墜落のショックにより死亡した。

3  被告は、戸田がその職務として事故機に搭乗して飛行するに際しては、同機を充分に点検整備し、戸田をして安全に飛行させ、その生命身体を危険に陥れないように配慮すべき義務を負担していたものであるところ、被告はこれを怠り、その結果、本件事故を発生させ、戸田を死亡に至らしめた。

4  ところで、航空機の墜落事故においては、一般に被害者側にとって、その具体的、個別的な事故原因を知ることは極めて困難であり、その点の立証の責任を被害者側に課するとすれば、殆どその救済の途を塞ぐことになる。これに反し、被告は、自己の意思により事故機の点検整備その他の管理及び運行について排他的支配を行い、しかも、航空機は高度な科学的、機械的、技術的な知識を持っていなければその管理運行をなしえないものであって、その管理運行にあたって果たすべき注意義務に関する知識も専ら被告のみが排他的に有している。さらに、航空機の事故発生原因の調査は、自衛隊内に設けられた航空事故調査委員会においてなされるが、その調査結果は部外者はもとより被害者側にも告知されず、しかも、被告は、当裁判所が昭和五六年二月一八日付でした文書提出命令にも応じない。

従って、立証における公平の見地から、被害者側である原告らとしては、抽象的一般的に、被告が事故機の点検整備等を充分になさなかった旨主張すれば足り、これに対し、被告は、事故機について点検整備等を充分にした旨の主張立証のみならず、事故機の管理者として自己の責に帰すべからざる事由により事故が発生した旨の主張立証をしない限り、事故に対する責任を免れ得ないものというべきである。

5  そうでないとしても、以下のとおり、本件事故は被告が事故機の点検整備を充分にしなかったために生じたものである。

本件事故の発生状況をみると、事故機が所定の訓練を終了した時点での高度は一万五〇〇〇フィートであり、百里基地へ帰投中の一〇時二二分百里ラプコンとの交信開始点における高度も一万五〇〇〇フィートであったから、その後一〇時二四分に六〇〇〇フィートへ降下するよう百里ラプコンから指示を受けた時点の高度も、帰投手順からみて一万五〇〇〇フィートであったと考えられる。ところが、右降下指示を受けた一分後の一〇時二五分にはレーダー上から事故機の機影が消失し、交信も途絶しているので、その時点で事故機は海面に降下又は墜落したものと考えられる。従って、事故機は約一分の間に高度一万五〇〇〇フィートから〇フィートまで降下又は墜落したことになるが、この降下率は、事故機と同型機の降下率が、通常速度三〇〇ノットで一分間四〇〇〇フィートであるのに比べ異常な数字であって、事故機は、自己の意思で降下したものではなく墜落したものというべきである。すなわち、事故機は、六〇〇〇フィートへ降下を指示された直後に何らかの異常事態が発生したものであり、事故機は機体構造の破損、操縦系統の故障、コンプレッサーストール、エンジン停止のいずれか又はこれらの複合により、失速又は錐もみ等に近い状態で墜落したものと考えられる。

右のような本件事故の発生状況からみても、本件事故は、被告が事故機を充分に点検整備しなかったことにより生じたものというべきであり、被告が事故機を充分に点検整備していたならば、右のような態様での事故は発生しなかったことは経験則上明らかである。

6  仮に、被告に、事故機の点検整備を充分に行なわなかったという安全配慮義務違反が認められないとしても、被告は、戸田に対する健康管理を充分になし、その生命身体に対する安全を保護する義務を負担していたものであるところ、被告はこれを怠り、本件事故を発生させ、よって戸田を死亡に至らしめたものである。

すなわち、戸田は、本件事故発生より約一か月前に飛行中空間識失調を起こしており、被告は、戸田がいかなる身体的状況において空間識失調を起こすのか、空間識失調が飛行の安全にいかなる影響を及ぼすか、特に心身の疲労と空間識失調の発生その他操縦士に与える影響等をあらゆる角度から検討するとともに、航空適性の有無を判定し、航空適性がないときは直ちに飛行士の資格を停止させ、航空適性ありと思料されるときでも、戸田が過去二回にわたって空間識失調を起こしていることを踏まえ、戸田に対する健康管理を充分になすべきであった。しかるに、被告は、戸田の航空適性の有無の判定にあたって充分な検査をなさないまま航空適性ありと判定し、また戸田の健康管理を充分になさず、事故当日訓練飛行を実施したものである。

しかも、戸田は、昭和四四年八月四日一七時から翌五日七時までアラート勤務(領空侵犯に対する措置に伴う警戒待機勤務)、同日九時から一七時まで地上勤務、翌六日八時から九時までDO勤務(飛行群司令代行当直幹部勤務)をした後、同日九時二八分訓練飛行のため離陸し、本件事故に至ったものであるところ、これは、アラート勤務後は二四時間休養をとるよう義務づけた規則に違反するものであり、右規則が、アラート勤務が心身に疲労を起こさせ、この疲労が飛行の安全に悪い影響を与えることを考慮して定められたものであることを考えれば、戸田は、右規則違反の勤務により疲労が蓄積し、その疲労のため空間識失調にかかり、その状態で高度計を誤読し又は誤操作をし、あるいは身体的障害を起こして本件事故に至ったものというべきである。

ところで、この点につき、被告は、当裁判所が提出を命じた航空事故調査報告書につき、防衛上支障を生ずるとの理由で、事故の概要の項のうち調査分析の操縦者に係る部分の一部(1(11)ア(イ)b)及び事故防止に関する意見の項等を空白にした抄本を提出している。一方、被告は、戸田に疲労が蓄積された可能性があること及び事故調査の結果、「緊急状態発生時の対処訓練を強化徹底すること」、「操縦者の健康管理の強化」が改善勧告されたことは認めており、これらの事項は、同報告書中では右空白部分に記載されているとみられ、このことからすると、右空白部分には、戸田の疲労蓄積が本件事故発生の原因である旨の記載もまたあるものとみるべきであり、仮にないとしても、その因果関係は明白である。さらに、右空白部分に、前記被告が認めたような事項が記載されているとすれば、それらを公表することによって防衛上の支障を生ずるとは考えられず、被告は、民事訴訟法三一六条の文書不提出の効果を甘受しなければならない。

7  損害

(一) 逸失利益

(イ) 戸田は、本件事故当時満三四才(昭和一〇年四月一七日生)の自衛官(一等空尉)であって、別表第一の昭和四四年度当初欄記載の所得を得ており、さらに、本件事故による死亡がなければ、平均余命の範囲内で少なくとも二等空佐以下の幹部自衛官としての定年である満五〇才(昭和六〇年四月一七日)に達するまで一五年八月にわたって勤務し、同別表各年別記載のとおりに昇給(毎年一号俸宛昇給するものとして計算する。)した金額をそれぞれ取得し、定年時には別表第三記載のとおりの退職金を得たはずである。

(ロ) 定年後は、少なくとも一〇人から九九人までを雇用する規模の会社に再就職して満六七才まで一七年間にわたって就労し、昭和四八年度賃金センサスによれば、その間、別表第二記載のとおりの所得を得たはずである。

(ハ) 以上の所得(退職金を除く。)から、戸田の生活費として三〇パーセントを控除し、各年の逸失利益の現価を年五分の割合による中間利息控除のライプニッツ式計算法により算出すると、その合計は別表第四記載のとおり三八七九万一〇六八円となる。これを、原告らは相続により、原告舜子は妻として三分の一、金一二九三万〇三五六円、原告勝秀は子として三分の二、金二五八六万〇七一二円ずつ取得した。

(二) 慰藉料

戸田の本件事故死による精神的苦痛を慰藉するには五〇〇万円が相当であり、これを、原告らは相続により、原告舜子は一七〇万円、原告勝秀は三三〇万円ずつ取得した。

(三) 葬祭費

原告舜子は戸田の葬祭費として少なくとも三〇万円を支出した。

(四) 損害填補

原告舜子は、国家公務員災害補償法による年金(昭和四四年二月から昭和四七年八月まで)一九八万五四四一円、葬祭補償金二一万二五二〇円、特別弔慰金一五五万円、退職金一二七万三六八〇円の支払いを受けたので、これを原告舜子の請求金額から控除する。

(五) 弁護士費用

被告は以上の金員を任意に支払わないので、原告らは、本件訴訟代理人に本訴提起を委任し、着手金を含め原告舜子は一三〇万円、原告勝秀は二六〇万円の支払いを約した。

(六) 以上によれば、原告らの請求金額は、原告舜子が一一二〇万八七一六円、原告勝秀が三一七六万〇七一二円となる。

8  よって、原告らは被告に対し、被告の戸田に対する安全配慮義務違反の損害賠償金として、右各金員及びこれらに対する本件事故発生日である昭和四四年八月六日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。但し、本件事故の発生時刻は午前一〇時二六分頃、発生場所は百里基地東方一九マイルの海上である。

本件事故の発生状況は次のとおりである。

(一) 戸田は、昭和四四年八月六日、事故機に搭乗して空対空ロケット射撃実射訓練のため、マークインディゴ編隊(三機)の三番機として、百里飛行場から九時二八分に離陸した。マークインディゴ編隊は、所定の訓練を実施した後、一、二番機及び三番機(事故機)の二個編隊に別れて帰投を開始した。

(二) 事故機は、一〇時二二分、百里タカン局(航法援助施設)から七〇度の方向、三五マイルの地点で百里ラプコン(レーダー・アプローチ・コントロール、百里管制隊)を呼び出し、レーダー誘導による進入を要求した。

(三) 百里ラプコンは、一〇時二四分、レーダー上に百里ラプコンから六五度、二三マイルの位置にある事故機の機影を確認し、事故機に対して磁針路二三〇度、高度六〇〇〇フィートに降下するよう指示した。事故機はこの指示を了解し、百里ラプコンと三回交信したが、一〇時二五分二〇秒頃、レーダー上の機影が消え、交信も途絶した。この間に、事故機からは航空機の故障あるいは緊急状態である旨の発信はなかった。

(四) その後、救難活動が開始され、一二時四五分、百里基地から八六度、一九マイル付近の海上で落下さん及び救命浮舟(ボート)が発見され、一三時四八分、戸田の遺体及び落下さん、ボート等の浮遊物の一部が同所で収容された。

3  同3ないし5は争う。

4  同6の事実のうち、戸田が過去二回にわたって空間識失調を起こしたこと及び戸田の本件事故までの勤務状況については認めるが、その余は争う。

5  同7は争う。なお、同(四)損害填補の項のうち、国家公務員災害補償法による年金の支給は昭和四四年九月からであり、昭和四七年八月までの三年間の支給額は二〇二万六七五七円である。また、葬祭補償金は二三万二八六〇円、退職金は一三八万八九七〇円である。

三  被告の主張

1  本件事故の発生原因について

(一) 本件事故は、操縦者が死亡し、事故機の大部分が海没して、その一部分しか回収できなかったこと及び目撃者も存しないところから、その事故原因を断定することは不可能であるが、次に述べるような事故の諸状況から事故原因を推定すると、以下のとおりである。

(1) 事故機は、射撃訓練時の高度が一万五〇〇〇フィートであり、一〇時二四分に百里ラプコンから六〇〇〇フィートに降下するよう指示された時点にも一万五〇〇〇フィートの高度を飛行していたものと推定される。一方、事故機は、一〇時二五分二〇秒頃にはレーダー上の機影が消え、交信も途絶しているので、その頃海面に激突したと考えられ、わずか一分の間に一万五〇〇〇フィートの高度から海面に激突したことになる。しかし、右高度は操縦者からの連絡を基にしているので、操縦者が高度計を誤読していたとすると、その高度は五〇〇〇フィートと考えられる。

(2) 遺体の損傷状況及び回収した機体の一部の破損状況からみると、事故機は約一〇度の降下姿勢か又は若干機首上げの姿勢で、かつ低速で接水し、その接水は数回繰り返され、第一回目には事故機体の主要部分が破壊分離するまでには至らず、その後、ジャンプ又は海面を滑走し、二回目以降の接水時の衝撃で分離飛散したと推測される。

(3) 事故機からは、航空機の故障その他の緊急事態が発生した旨の通報はなく、戸田の遺体の損傷状況からみて、戸田は緊急脱出を試みてもいないと認められる。

(4) 本件事故現場付近は、高度五〇〇〇フィート以下に濃い視程障害(煙霧)、二〇〇〇フィート以下に海霧が発生していた。

(二) 以上の事実から事故原因を考える。

(1) 操縦者の突発的身体障害

事故機が、百里ラプコンの指示を受けて一万五〇〇〇フィートの高度から降下し始めた後、操縦者に何らかの突発的身体障害(心臓麻痺、脳溢血、低酸素症等)が発生して意識を喪失し、操縦に空白を生じ、機首下げ、失速等により急激に落下し始めたが、海面近くに至って意識を回復し、機首上げ姿勢に修正するも間に合わず、事故機は水平飛行に近い状態で海面に激突したというケースが考えられる。極めて可能性の少ないケースではあるが、あり得ないものではない。

なお、右低酸素症は原因として酸素マスク系統の故障が考えられるが、その故障は操縦者の生命の危険に直結するものであるから事前に充分な点検が行なわれており、また、操縦者も飛行中に数回点検することからして、右故障はあり得ない。

(2) 操縦者の空間識失調

操縦者が空間識失調に陥り、自己機の角度、傾斜に対する判断を誤り、ピッチアップ(機首上げの状態をいう。機体の重心位置の移動によってピッチ角が次第に大きくなり、発展してスピンに移行する比較的悪性の失速状態である。)からスピン状態となり墜落し始めたが、低空において機体を水平に近い状態に修正するも間に合わず海面に激突したというケースであり、これも考えられる事故形態である。

(3) 機体の故障等

機体の故障等に起因する場合としては、(イ)飛行中に突如機体の一部が破損(操縦翼面等の破壊脱落により非対称状態に陥る等)して、墜落する場合、(ロ)エンジン部の故障によりエンジンが停止して墜落する場合、(ハ)機体の爆発等の場合が一応考えられる。しかし、F一〇四Jについて、(イ)のような例が報告されたことはなく現実的にはあり得ないことであるし、前記(一)(2)の事実からすると、(イ)、(ロ)のような事故原因はあり得ない。また、機体の一部を検査してみても爆発が生じた形跡は全くない。

(4) 操縦者の操縦ミス

右(1)ないし(3)以外の原因に基づく操縦者の操縦ミスにより、事故機がピッチアップ状態から失速に陥り、スピンしながら海面に激突したというケースも考え得る事故原因である。

(5) 操縦者の高度計誤読

事故機は、実際には五〇〇〇フィート前後を飛行していたにもかかわらず、操縦者が高度計を読み誤り、一万五〇〇〇フィートを飛行しているものと誤認し、百里ラプコンから六〇〇〇フィートまで降下するよう指示されたため、操縦者は一万五〇〇〇フィートから六〇〇〇フィートに降下するつもりで、実際には六〇〇〇フィート以下から降下を開始し、海上二〇〇〇フィート以下に発生していた海霧に突入し、そのまま海面近くまで降下したが、その時点において海面を視認するか、高度計の誤読に気づいて急激に機首上げの操作をするも再上昇するまでには至らず、又は、急激な機首上げ操作のためピッチアップに続いてスピン状態となり、墜落したというケースである。これは、前記(一)の各事実と最も合致し、客観的に可能性が高い事故原因である。F一〇四Jの高度計からして、このような高度計の誤読はあり得ないものではなく、実際にもそのような例が報告されている。

(6) その他、予想しえない天災に起因するケースとして、落雷が考えられるが、回収した機体について磁力検査をした結果、異常は認められず、落雷はあり得ない。

(三) 以上のとおり、本件事故は、その事故態様からみて、戸田の突発的身体障害ないし高度計の誤読を含む操縦ミスが事故原因であると考えられるが、後記のとおり、被告は戸田の身体的状況について事前に充分な検査を行っており、その結果、何らの異常をも認めなかったのであるから、本件事故は戸田の過失に基づくものと考えざるを得ない。

2  事故機の点検整備について

原告らは、本件事故の原因を、事故機の機体構造の破損、操縦系統の故障、コンプレッサーストール、エンジン停止のいずれか又はこれらの複合によるものとし、これを根拠に、被告が事故機の点検整備を怠った旨主張するが、前記のとおり、本件事故の原因は不明ないし操縦士の過失によるものと考えられるから、原告らの主張は前提を欠き理由がない。

また、被告は、事故機を整備基準に定められたとおり充分に点検整備しており、事故機は本件事故まで正常な状態に維持されていた。

3  戸田の操縦等の経歴及び同人に対する健康管理について

(一) 戸田は、昭和三四年三月防衛大学校を卒業後、航空自衛隊に入隊し、昭和三六年七月二九日航空自衛隊の操縦士としての航空従事者技能証明を取得した。その後、戸田は、F八六F昼間戦闘機の操縦士として約四年九月勤務し、さらに、F一〇四J全天候戦闘機の操縦士として約二年九月勤務中のところ、本件事故に遭遇したものである。戸田の本件事故発生時までの総飛行時間は二〇四六時間〇五分であり、そのうち、一八六六時四五分がジェット機によるものであり、さらに、そのうち四六〇時間四〇分が事故機と同型のF一〇四Jによるものである。

(二) 戸田の健康状態については、航空医官によって定期的に調べられており、その結果何ら異常は認められていない。また、戸田は、過去二回空間識失調にかかっているが、これらは本人からの訴えによるものであり、この申告を受けて医官は、戸田に対し飛行停止処分を行うとともに、医官及び航空自衛隊航空医学実験隊の専門官三名により、一〇日間にわたって、空間識失調を起こすと思われる要因、影響等をも踏まえ、航空適性検査を精密かつあらゆる角度から行った。右検査の結果、全く異常はなく、航空適性があると判断されたので右飛行停止処分が解除されたのである。

以上のとおり、被告は、戸田に対する健康管理を充分に行っていたものである。

(三) また、原告らは、被告がアラート勤務後、戸田に規則どおりに二四時間の休養を与えなかったため、疲労が蓄積された旨主張するが、戸田のように編隊長クラスの操縦士にあっては、アラート勤務終了後地上勤務に服務させる場合があり、これは、アラート勤務が激務ではなく、編隊長クラスの者としてはその職責上からも当然に要求される程度の勤務状態であるからである。さらに、戸田の本件事故前の勤務時間、勤務内容からみても、戸田に疲労が蓄積していたとは言えないし、仮に、ある程度の疲労が蓄積されていたとしても、本人の体力、精神力からみて本件飛行に支障をきたすようなものではなく、この疲労が飛行中の身体障害ないし飛行操作の誤りの原因となったと解する余地はない。

4  航空事故調査報告書の未提出部分について

被告が、同報告書の一部記載部分を空白にした抄本を提出したのは、当該空白部分に、戦闘機操縦者の勤務体系及びそれに対する意見並びに飛行部隊の運用上の指導事項及び改善事項が記載されているため、これを明らかにすることは、戦闘能力が判明するなど防衛上の支障を生ずるので提出しなかったものである。そして、右空白部分には、原告主張のような戸田の疲労蓄積と本件事故の因果関係の記述はないし、そのことは、同報告書が本件事故の原因を不明としていることからも明らかである。

5  損害について

(一) 戸田の逸失利益の計算は、別表第五のとおりなされるべきである。

(二) 損害の填補

(1) 被告は、防衛庁職員給与法二七条による国家公務員災害補償法の準用により、原告らに対し公務災害補償年金の給付決定をなし、昭和五三年二月までに別表第六のとおりの金員を支払った。また、人事院規則一六―三の改正により、遺族補償年金を受給する権利を有する者に対して、昭和五二年四月一日以降遺族特別給付金として遺族補償年金に一〇〇分の二〇を乗じた金額が支給されることとなり、被告は原告らに対し、昭和五三年二月までに一一万三五五七円を支払った。この特別給付金は、実質上遺族補償年金の一部をなすものであるから、これも原告らの請求金額から控除すべきである。

(2) 右遺族補償年金及び遺族特別給付金は、原告らに対し将来給付されることが決定されているものについても、当然、原告らの請求金額から控除されるべきものであり、その金額は、別表第六記載のとおりである。

(3) 原告らの本訴請求は、被告の安全配慮義務違反を理由とするものであるから、期限の定めのない債務であって、遅延損害金の起算日は本件訴状の送達の日の翌日である。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1ないし4はいずれも争う。

2  同5(二)の主張は争う。

遺族補償年金は、本来、受給権者が死者の遺族であるという資格のもとに、法律の規定に基づいてこれを受領するものであり、死者の逸失利益の損害を発生せしめた債務不履行に直接起因するものではなく、両者は権利主体及び発生原因を異にするから、これを逸失利益から損益相殺により控除すべきものではない。

仮に、損害額から遺族補償年金額を控除しうるとしても、現に給付済みの年金額に限って控除されるべきであって、将来給付が予想されうるにすぎないものは控除されないと解すべきである。また、将来給付分をも控除すべきであるとしても、その金額は、受給権者である原告舜子の平均余命期間を基礎とすべきではなく、戸田の平均余命期間を基礎として計算すべきである。さらに、右年金等の受給権者は原告舜子のみであるから、これを受給権者でない原告勝秀の請求金額から控除することはできない。

第三証拠《省略》

理由

一  請求の原因1及び2の事実は、いずれも、本件事故の正確な発生時刻及び場所を除き、当事者に争いがない。そして、《証拠省略》によれば、本件事故の発生状況は、請求の原因に対する認否2(一)ないし(四)のとおりであることを認めることができ、これに反する証拠はない。

二  本件事故については、前記のとおり、操縦者が死亡しており、操縦者との交信記録にも事故発生の具体的状況ないし原因を窺わせるような事実は認められず、また、目撃者もいないこと、《証拠省略》によれば、本件事故では事故機が海没し、その一部分しか回収できなかったことが認められることなど、事故発生の具体的状況ないし原因を特定する資料に乏しく、その判断は必ずしも容易ではないが、当裁判所に提出された証拠に基づき、以下、考察を加えることとする。

まず、本件事故発生の具体的状況について考える。

1  事故機の飛行高度

《証拠省略》によれば、事故機が所定の射撃訓練を終えた時点での高度は、一万五〇〇〇フィートであったことが認められる。

最も問題となる、事故機が一〇時二四分に百里ラプコンから六〇〇〇フィートへの降下を指示された時点での高度については、《証拠省略》によれば、事故機は、一〇時二二分に、百里ラプコンから高度を問われたのに対し、雲上有視界飛行の状態(on top)である旨答えていることが認められる。《証拠省略》によれば、on topとは、雲や煙霧等の視程障害現象から一〇〇〇フィート以上上空を飛行していることを表現する用語であり、一方、当時の付近の気象状態をみると、二〇〇〇アィート以下は海霧、五〇〇〇フィート以下に濃い視程障害現象(煙霧)が存在し、五〇〇〇フィートないし一万フィートまでには一部薄い煙霧もみられ、一万五〇〇〇フィート付近には雲量八分の四以下の層雲がみられたというような状態であったことが認められる。

そうすると、on topと回答した時点での事故機の高度は、少なくとも六〇〇〇フィート以上であり、当然、百里ラプコンから降下指示を受けた時点での高度も同様に六〇〇〇フィート以上であったことは明らかであるが、操縦者との交信記録からは、これ以上に事故機の飛行高度を特定することはできない。

また、《証拠省略》によれば、事故機は、百里ラプコンと交信するまでは、有視界飛行方式により飛行しており、従って、有視界飛行が可能な高度までは、管制官の許可を得ることなく自らの判断で降下することができたものと認められる。そして、《証拠省略》によると、当時、有視界飛行方式により飛行するためには、空中視程が五マイル以上であることが要件とされており(ちなみに、《証拠省略》によれば、昭和四五年一月二六日以降においては、高度二万四〇〇〇フィート未満では、空中視程が五〇〇〇メートル以上、雲からの距離が上方五〇〇フィート、下方一〇〇〇フィート、水平方向二〇〇〇フィート以内に雲のないこととされている。)、これを、当時の付近の気象状態についてみると、おおむね高度六〇〇〇フィート以上では有視界飛行が可能であったものと認められる。

そうすると、この点からは、事故機が自らの判断で、百里ラプコンからの降下指示を受ける前に、六〇〇〇フィート付近まで降下していた可能性を否定することはできない。

ところで、原告らは、帰投手順からみて、事故機は高度一万五〇〇〇フィートを維持していたものと主張し、証人座間高明は、おおむねこれに沿う証言をする。しかし、その帰投手順自体必ずしも明確なものではないし、他方、証人石塚勲及び同大圖勝美は、自らの判断で降下することはあり得る旨証言しており、これらの証言を総合すると、事故機は、高度一万五〇〇〇フィートを維持していた可能性がより高いとは考えられるが、それ以上に、事故機が六〇〇〇フィート前後まで降下していた可能性を否定することはできないと考えられる。

以上を要約すると、事故機が百里ラプコンから六〇〇〇フィートへの降下指示を受けた時点での飛行高度は、六〇〇〇フィート以上であったことは明らかであるが、これ以上具体的に飛行高度を特定することはできない。すなわち事故機が高度一万五〇〇〇フィートを維持していた可能性がより高いとは考えられるが、自己の判断で降下していた可能性も否定することはできないと言うべきである。

2  事故機の接水状況

《証拠省略》によれば、戸田の死体検案の結果、戸田は、接水時に前傾姿勢となり、キャノピー(前部上方枠)又は操縦桿等との激突によって頭蓋及び顔面に致命傷を受けて即死したものであり、さらに、全身の創傷や衣服の状況からみると、戸田は事故機から脱出した形で落下さん及びボートとともに発見されているが、これは、戸田が自らの意思で緊急脱出したためではなく、接水時の衝撃により機体から放り出されたためであることが認められる。そして、右事実及び回収した一部部品(翼つけ根の機体枠、飛行姿勢検知器、液体酸素タンク等)の破壊状況から事故機の接水の状況を推定すると、《証拠省略》によれば、事故機は、一〇度ないし二〇度の浅い角度で機首又は機体後部が接水し、戸田はその時の衝撃によって事故機から上方に放り出されたものと考えられ、さらに、接水時の事故機の速度は、同種態様の航空機事故における操縦者の遺体の損傷状況と比較すれば、かなり低速、すなわち、F一〇四Jの失速限界に近い一八〇ノットないし二〇〇ノット前後であると考えられる。

また、《証拠省略》によれば、その具体的根拠は明らかではないが、航空事故調査委員会は、回収した一部部品及び戸田の遺体の状況から、事故機の接水の状況について、接水は数回繰り返したものであり、第一回目には機体の主構造部が破壊分離するに至らず、外装部、キャノピー及びハッチ等と操縦者が分離放出され、その後ジャンプしたかあるいは海面を滑走し、次回以降の接水衝撃で機体全体が破損飛散したものと推定していることが認められる。

3  本件事故の発生すなわち事故機の海面への接水の時刻については、前記のとおり、一〇時二五分二〇秒頃にはレーダー上の機影が消え(高度が一〇〇〇フィート以下になったためと考えられる。)、交信に対する応答も途絶していることから、その直後であると推定される。

三  以上の事実を基にして本件事故の原因について考える。

1  まず、原告らは、事故機は、約一分の間に、高度一万五〇〇〇フィートから海面まで降下又は墜落したことになるので、この降下率からみると墜落したものと考えるほかはなく、本件事故は機体故障が原因である旨主張する。

しかし、事故機が百里ラプコンから降下指示を受けた時点での飛行高度は、これを特定することのできる確実な証拠はなく、一万五〇〇〇フィートであった可能性が高いとは言えるものの、あくまで可能性の域を出るものではなくそれ以下であった可能性をも否定できないことは前記のとおりであって、さらに、前記のとおり、事故機は、一〇度ないし二〇度というような浅い角度で、かつ低速で海面に接水したものと考えられること、また、《証拠省略》によると、右のような状況であれば充分に緊急脱出が可能であると認められるにもかかわらず、戸田は緊急脱出を試みてもおらず、緊急事態が発生した旨の交信もないことを考えると、降下指示から接水までの時間が短いという事実だけから、事故機に何らかの緊急事態が発生し、そのために墜落したものであるとまでは認められない。

また、仮に事故機に何らかの緊急事態が発生し、そのために事故機が墜落したものであるとしても、その原因は、原告ら主張のような機体の故障に限られるものではなく、操縦者の突発的身体障害、空間識失調又は操縦ミス等の操縦者側の要因、さらには天災等の不可抗力もその原因として考えることができる。

本件事故においては、右にあげた事故原因のうち、操縦者に突発的身体障害や空間識失調が生じた可能性が小さいとみられることは後記のとおりである。操縦ミスについても、事故機は、高度六〇〇〇フィートへ降下する途中であったにすぎないのであるから、その途中で墜落に至るような操縦ミスを起こす可能性はそれほど大きいものとは考えられない。不可抗力についても、本件事故で考えられるのは落雷であるが、これが否定されることは被告自ら認めるところである。しかし、本件事故の原因が、機体の故障以外には考えられないとまでは言えないし、機体の故障についても、前記のとおり、本件事故では操縦者が緊急脱出を試みてもおらず、緊急事態が発生した旨の交信もないこと、さらに、《証拠省略》によれば、事故機と同一機種であるF一〇四Jにおいて、機体の故障すなわち機体の一部破損、操縦系統又はエンジン部の故障等の事態が生じたときには、機体の姿勢保持が困難となり、揚力を急激に失って急角度で落下することが認められ、このような場合には、一般に、短時間のうちに機体を水平に回復することはきわめて困難であると考えられ、従って、機体の故障が原因となって墜落した場合には、通常は、事故機が一〇度ないし二〇度というような浅い角度で、かつ、低速で海面に接水するというようなことにはならないと考えられることからすると、本件事故の原因が機体の故障であると言うことはできず、他の考えうる事故原因よりも可能性の高い事故原因であるとすることもできない。そして、他に、事故機に機体の故障が発生し、これが本件事故の原因となったことを認めるに足りる証拠はない。

2  次に、戸田が百里ラプコンから降下指示を受けて、六〇〇〇フィートへ降下中に、心臓麻痺、脳溢血、低酸素症等の突発的身体障害を起こした可能性について考える。

まず、心臓麻痺、脳溢血については、証人鶴見宜基の証言によれば、戸田については、健康診断の結果、本件事故の発生まで、心臓、血圧その他の異常を全く認めていないこと、さらに、戸田の本件事故当時の年齢(三四歳)からみても、戸田が心臓麻痺あるいは脳溢血を起こした可能性は小さいと考えられる。また、酸素マスクの故障等による低酸素症についても、《証拠省略》によれば、百里ラプコンとの交信での戸田の音声からも、低酸素症を窺わせるような様子がなかったこと、さらに、一万フィート以下に降下すれば酸素マスクは不要であることが認められることからすると、低酸素症の可能性は小さいと考えられる。

以上のとおりであって、本件事故においては、操縦者に突発的身体障害が生じた可能性は、これを全く否定することはできないにしても、かなり小さいものと考えられる。

3  戸田が空間識失調(操縦者が操縦中に前後、左右、上下の平衡感覚を喪失すること)を起こした可能性について考える。

戸田が、過去二回空間識失調を起こしたことは当事者間に争いがない。しかし、《証拠省略》によれば、空間識失調は、視覚のみによっては上下等の感覚を確められない雲中とか月の出ていない夜間の飛行の場合に起きるものであり、戸田が過去に空間識失調を起こしたのも右のような場合であったと認められる。また、戸田が特別空間識失調を起こしやすい体質であることを認めるに足りる証拠はないし、戸田に対し、本件事故の直前に行なわれた航空適性の検査においても、何ら異常は認められなかったことは後記のとおりである。

そうすると、本件事故当時の気象状況からみても、戸田が空間識失調を起こした可能性は小さいものと考えるべきである。

4  さらに、戸田が高度計を誤読し、その結果、海面に激突したという可能性について考える。

本件事故では、操縦者が緊急脱出を試みてもいないこと、緊急事態が発生した旨の交信もないこと、さらに、事故機の接水状況からみても、事故機に何らかの緊急事態が発生し、そのために墜落したものと考えることにはかなりの疑問があることは前記のとおりであり、右の点は、戸田が高度計を誤読したことが本件事故の原因であるとする有力な根拠と考えられる。

しかし、事故機が百里ラプコンから六〇〇〇フィートへの降下指示を受けた時点の高度は、六〇〇〇フィート前後であった可能性を否定することはできないにしても、一万五〇〇〇フィートの高度を維持していた可能性がより高いと考えられることは前記のとおりである。さらに、《証拠省略》によれば、高度計の誤読は数例報告されているが、それらは、降下(上昇)するに際し、何万フィート降下(上昇)すべきかという点についての誤読の例であり、本件のように降下すべきか否かということ自体についての誤読は、飛行手順からみてもより可能性が小さいと考えられること、すなわち、本件の場合に戸田が管制官の指示を見越して自らの判断で六〇〇〇フィート前後まで降下していたのであれば、戸田は、当然、その時点での自らの高度が六〇〇〇フィートであることは認識しているはずであって、その後に百里ラプコンから六〇〇〇フィートへの降下指示を受けた際に、高度計を誤読して自らの高度を一万六〇〇〇フィート前後であると誤認することは、操縦者の判断としては、通常、ありえないと考えられることが認められる。

また、《証拠省略》によれば、本件事故の原因を調査するために設置された航空事故調査委員会においても、医官及び整備関係者側の委員は、高度計の誤読が本件事故の原因である蓋然性が高いと主張したが、操縦士側の委員から、そのようなケースは考え難いとの反論が出され、結局、同委員会の結論とはされなかったことが認められる。

以上の点を考えると、被告主張のような高度計の誤読が本件事故の原因であると言うことはできないし、他の考えうる事故原因よりも可能性の高い事故原因であるとすることもできないと考えられる。

5  以上の他にも、可能性のある事故原因はいくつか考えることができるが、いずれもその根拠に乏しく、可能性の域を出るものではないと考えられ、本件事故の原因と認めることのできるものは見あたらない。

6  以上のとおりであって、本件事故の原因は不明であるとするほかはなく、可能性の高い事故原因を特定してあげることも困難である。

四  以上の事実を基にして、被告の責任について考えるに、まず、原告らは、本件事故は事故機の機体の故障により発生したものであって、被告には、事故機の点検整備を充分にしなかった安全配慮義務違反がある旨主張する。

しかし、本件事故の原因が事故機の機体の故障によるものとは認められないことは前記のとおりであって、原告らの右主張はその前提を欠き理由がない。また、被告が事故機の点検整備を怠ったことを認めるに足りる証拠もない。

ところで、原告らは、被告は、事故機の点検整備を充分にした旨の主張立証のみならず、事故機の管理者として、自らの責に帰すべからざる事由により事故が発生した旨の主張立証をしない限り、安全配慮義務違反の責任を免れえない旨の主張をする。

しかし、航空機事故が発生した場合、その原因を確定することは必ずしも容易なことではなく、本件事故のように、結局、その原因が不明であるとされることも少なくない、航空機事故の原因には、機体の故障、操縦者の操縦ミス、気象条件などさまざまであるが、これらすべての要因について被告がこれを支配し、又は、これに関与しているわけではなく、ことに、操縦者の単純な操縦ミスのごときは被告が全く関与することのできない性質のものである。そうだとすると、事故の原因が不明である場合に、被告は、不可抗力の主張立証をしなければ免責されないとすることは、少なくとも、当該事故機の操縦者に対する安全配慮義務違反の有無が争点となっている本件訴訟においては、必ずしも妥当とは思われない。

また、原告らは、被告が、当裁判所のなした文書提出命令に応じないことを右主張の根拠にあげているが、《証拠省略》によれば、航空事故調査委員会が、本件事故の原因について調査のうえ出した結論は、結局、不明であるというものであり、右結論に至った経過及びその根拠は、おおむね当裁判所で取調べられた証拠により明らかにされていると考えられる。被告が航空事故調査報告書を提出しないことによって、本件事故の原因について主張立証責任を被告に転換しなければならない程度に原告らが立証活動を阻害されたとも認められない。

もともと、安全配慮義務は、被告が、公務遂行に関する人的、物的諸条件を支配管理していることから、その範囲内において、公務の遂行にあたる公務員の生命、身体に対する危険を防止すべき義務であって、当該公務員の生命、身体の安全を絶対的に保障すべき義務ではない。右の趣旨から考えても、事故発生の事実のみから、被告の安全配慮義務違反を推定することは妥当でないと考えられる。

よって、原告らの右主張は理由がない。

五  原告らは、被告には戸田に対する健康管理を充分にしなかった安全配慮義務違反があり、右義務違反が本件事故の原因である旨主張する。

しかしながら、前記のとおり、本件事故の原因は不明であるから、原告らの右主張もまたその余の点について判断するまでもなく理由がない。のみならず、戸田に対する健康管理については、《証拠省略》によっても、被告がこれを怠った事実は認められない。すなわち、戸田が空間識失調を起こした後、その旨の報告を受けた第七航空団衛生隊長(航空医官)は、戸田の航空適性を調査するため、戸田に対し飛行停止処分を行うとともに、航空自衛隊航空医学実験隊の適性班に調査を依頼し、一〇日間にわたって、空間識失調も含め戸田の航空適性を綿密に調査した結果、全く異常は発見されず、航空適性ありと判断されたため、右飛行停止処分は解除されたのであり、右検査に不充分な点があったことを認めるに足りる証拠はない。

また、原告らは、戸田は、アラート勤務後二四時間の休養を与えられなかったため、本件事故当時疲労が蓄積していた旨主張するが、《証拠省略》によれば、従前から戸田のような編隊長クラスのベテランパイロットにおいては、人員配置の都合等から、アラート勤務後地上勤務に服務させる場合があり、このことが従来特段問題視されたようなことはなかったと認められること及び原告が請求の原因6で主張するような戸田の勤務状況(この点は当事者間に争いがない。)からみて、本件事故当時、戸田に飛行に支障を生ずるような疲労の蓄積があったとは認め難く、他に、戸田に対する健康管理が不充分であったことを認めるに足りる証拠はない。

なお、原告らは、民事訴訟法三一六条の文書不提出の効果を主張するが、右のとおり、戸田に飛行に支障を生ずるような疲労の蓄積があったとみることは困難であり、航空事故調査報告書にその旨の記載があるとも考え難いから、原告らの右主張は採用しない。

六  以上のとおりであって、本件事故が原告ら主張のような被告の安全配慮義務違反により生じたことを認めるに足りないから、原告らの請求はその余の点についてみるまでもなく理由がないのでこれをいずれも棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 白石悦穂 裁判官 窪田正彦 山本恵三)

<以下省略>

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